ひかりの聖堂
飛翔のときか来迎か
いのちの糸はいのち享け
わが身のさだめ知らされる
かがやくそらにいざなわれ
ゆらめく波にあそばれて
鼓動たかまりまたしずむ
かえらぬ人の影を縫い
戻らぬときをしたためて
白き調べを弾きくらべ
色をいただく音の波
歌を染めるは極楽鳥
かさね桜に濃紫
いにしえびとと舞い踊り
まもりびとにはこえひそめ
いま立つものをささえつつ
夢織りなすは薄衣
息をわすれる深緑
ひかりの恵みかぎりなく
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志村ふくみ「母衣への回帰」に寄せて
細く微かなもの
背中から腰と脚にかけ激痛が走り、起き上がるにも坐るにも歩くのにも、痛みに耐えながらようやくという状態が続き、一時はこのまま動けなくなるのではないかという怖れすらあった。安静といわれ、とにかくできるだけ外出しないようにしているうち、重だるくヒリヒリする感触は残るものの、階段を踏みしめる足を下から支えてくれるような確かな兆しがあり、軽く身体を動かすと蠢くような力の芽生えが広がり心地よさを覚えた。久しぶりに少し歩いてみたくなり、近くの遊歩道を散策する。道のところどころに鬱蒼と葉を茂らせている、幹の直径が一メートルはありそうな巨きな樹は、天に向かい歩いているかのようだ。細く微かで確かな歩みは、そのはたらきを誇らない。
風の音 龍の耳
インターネット上のやりとり、キーポードから打ち込まれた文字だけではなかなか感情は伝わらず誤解しがちだが、それでもやはり、「感じられる」と「聞こえる」の中間の働きのようなものによって、表された言葉から相手の心の動きを、苛立ち、親愛、悲鳴、歓び、苦しみなどを、推し測れるときがある。おそらくネットの向こう相手もそうなのであろう。線の繋がらぬ電話の受話器を耳にするとき、その人は大切な人の声を確かに聞いている、そしてその声が途切れ静まる時の間に、さらに小さき声があることに氣づく。おそらく受話器の向こうの相手もそうなのであろう。ピアノの鋼の糸を叩く羊の毛のハンマーは響きの森を現出させる。働きかけるものと働くもの、実はどちらがどちらなのかはわからない。
聴覚を喪っていることをなぜ「龍」と「耳」で表すのだろう。あまりに耳が大きく、すべてが聞こえることを聾といい、すべてを聞き入れる大いなるものは、ただ静けさと共にあるに違いない。頬に指先を添え、片足を膝に憩い微笑む弥勒菩薩が、初めて出る地を共にする、隣國の佇まいに向かい合う。重ならぬ時もあれど、その姿は近しくあった。人のみならずあらゆる生類の、生者の声、死者の声、内なる声も逃さずに耳を傾けつづける。その営みを、海を隔て見護る者がいたのだ、そして見護られていたのだ。古の都にて、ひとりそこに立ち見つめ聞くことを、見つめられ聞かれることを、念う。微笑むのは我か彼か、誰が我で誰が彼か、風の中に応えがある、凪の中に応えがある。
天の水 分かつ
風笛に導かれ漆黒の闇を進む光の珠、銀の毒水を代わり受け、麗明の海に逝きし者の歩みか。天透ける女人の鎮魂歌、言葉奪われし影達の眼差し篤く包みて、古の黒き輝石の邑に染み入り、語る言葉その姿ひそめ語らざるものとの旅に誘う。水を分かつ地に育まれし童女は、息を閉ざす殻に覆われし美しき星を愁い惑い哭してひとり坐し、冷たき風に揺れる葦となることを預かる。膝に軽き子を守る煩悩深き翁、かそけき肌伝う温もりに己の魂魄護られ、陽射し享ける畳には恵みの音なわざることなし。地に花弁を希む指は祈りの刃となり、引き裂くは天空の動かざる時。深海の底に囚われ臥す人が見るは絶対零度の宙か蓮花の園か。凪に磯遊びし、もてなし集うものの差し延べる手を愛ずる。小さく弱きものなれど、天の鼓動遍く始原の海よりの使者なり。その遥かなる託けに黙し、織り成す波風に揺り出され、曇ることなき瞳携え旅立ちし姿想い、こころ静まりいのち咲く時来たれとただ俟つのみ。
光の扉
見よ
星の旅立つ久遠の扉を
楽の音薫る天上の窓を
深淵の海に埋もれし新生の泉を
扉の鍵は何処に
明日なき海空に散りし瞳か
ただ花を手向け黙し跪く姿か
哭する背中に差し伸べられた手か
それはまた
走抜けた少女の咲きこぼれる笑顔か
闇こそ包む愛しき影か
食卓に添えられた一輪の風か
耳を澄ませ
ふたりに託されたことばに
古の書物に預けられた調べに
懐かしきふるさとの歌に
いまここに
切り出された静寂の畔を行く
遅く小さき歩みの中に
光立ち
迷い畏れし
漆黒の青に
夜の虹懸れり
「雑司ヶ谷にある誰だか分からない人の墓、―――これも私の記憶に時々動いた。私はそれが先生と深い縁故のある墓だという事を知っていた。先生の生活に近づきつつありながら、近づくことの出来ない私は、先生の頭の中にある生命の断片として、その墓を私の頭の中にも受け入れた。けれども私に取ってその墓は全く死んだものであった。二人の間にある生命(いのち)の扉を開ける鍵にはならなかった。寧ろ二人の間に立って、自由の往来を妨げる魔物のようであった」(上 十五)
(夏目漱石『こころ』)