2014-01-01から1年間の記事一覧

自分より自分に近い何ものか

ここにいてはならない。 天から舞い下りた音の花びらが河面を遍く彩りながら流れゆくが如き響きに、その声を聞いた。 親の敷いてくれたレールのまま卒業後の道筋が定められようとしていたときだった。 今へと扉が開かれてゆく序章となった。 心の呟きだった…

過ぎいく時間 過ぎいかぬ時

小学校高学年になると週番という役割があり、五年生と六年生が組み、放課後学内を回って各教室を点検したりした。五年生になり初めての週番のとき六年生の女子と組んだ。 こころが切なく遠い憧れに充たされた。 小学校低学年のときは身体が弱く休んでばかり…

待つ 2

母が2度流産したことを父がふと漏らしたことがあった。母の胎内でその命を全うした兄か姉がいたというのは、悦びにも似た感動であった。母がその悲しみ辛さを語ることはなかったが、赤子を授かり胸にする日を切に待ち望んだことだろう。 母の亡くなった後、…

待つ

待つ 23年前父が心筋梗塞で急逝。 留学準備中で、TOEFLの成績も基準スコアを超え推薦文も受取り、会社にも退職を伝え業務引継ぎ中というときであった。高齢の祖母の面倒を母ひとりでみるのは難しいと判断し留学を断念した。 会社に戻る氣にもならず、語学…

やわらかに内につつみ

不可視なことばに託されたもの

母が遺した手記を自費出版するため原稿をパソコンで書き起こし、「・・・昭和23年結婚。二男をもうける。平成26年他界」と略歴をまとめているとき、この66年間、特に二人きりだった晩年は、どういう氣持ちでいたのだろうか幸せだったのだろうかという思いが…

光の経験

5月に母が急死。 悲しみの底の時、赤い和紙の表紙、茶色くなった紙に綴られた、子ども時代の台湾を偲ぶ手記を発見した。呼応するように、その頃の写真を初めて見る機会も得た。知らなかった、真っ黒に日焼けし満面に笑みを湛えた元氣溢れる母がいた。そして…