忍びの者

ガラス戸越しのベランダに人影を感じた。
男の子が一メートルほどの壁の上にいる。
壁の上面は五センチ巾しかない。
見る間に手すり際を通り過ぎ、消えた。

終点です

 「終点です」

 

 北と南を結ぶ路線、
 仕事場は中間の駅辺りにあり、
 北の終点から程近いところに住んでいる。

 南の終点だった。

 北行きの電車に乗る。

 

 「終点です」
 

 南の終点だった。

 乗りかえる前に個室トイレへ。

 出ようとしたらドアが開かず、
 体当たりしてもビクともしない。

 ドアをよじ登り隙間から外に出る。

 肩がドアにふれる。

 静かに開いた。

 引けばよかったのだ。

緑の衣

 詩文集が完成した。
 濃い緑色の衣につつまれ、言葉にあらたな息吹がふきこまれたかのようだ。手ざわりがとてもよい。表紙の色合いに、刻まれた白い題字が映える。三か月前から準備し、原稿の選定、並べ方や文字の大きさ、字間・行間・余白の調整、製本の検討を経て、和綴じ専門の会社に制作を依頼した。五色の綴じ糸を無償提供してもらい、五種類の冊子が出来上あがった。原稿はこの三年余りの間に書き記したものであるが、このような形に結びつくとは思いもしなかった。
 母の急逝後しばらくして、もう落ちつきましたか、とかけられる周囲の声にやるせなさを感じていたとき、知人からある書物を紹介される。本の題名のなかに、悲しみが美しい、という言葉があった。救われる思いがした。その著者の講座に通いはじめる。散文も詩も書いた経験はなく、課題にしたがって文章を提出していたが、徐々に重荷を感じ、しばらく講座を休んでいたところ、講座事務局から長崎への旅の知らせが届く。土日は仕事でふだんは動けないが、偶々折よくその日程だけは休みがとれ参加することにした。
 雲ひとつない紺碧の空に教会の白い壁が眩しく、海に沈む夕陽に時をわすれた。坂道を歩むと足取りを実感できる。仲間と別れ、もう一泊することにした。平和公園から原爆資料館へ向かう途中に、原子爆弾落下中心地碑がある爆心地公園がある。緑につつまれた公園に足をふみいれると涙がこみあげ、しばらくとまらなかった。
 帰京すると、言葉がわきあがってきた。

許す

 電車から降り、エスカレーターに向かおうとしたとき、割り込んできた男の足が足首に当たった。注意しようと追いかけたが逃げ足が速い。人を押しのけ、次のエスカレーターも駆け降りていく。

 上から見ていると。

 トイレに駆け込んだ。 

 許す。