時の光(かげ)

 薄茶に古びた罫線紙に褪せたインクの変わり仮名がゆれている。傷んだ表紙を緋色の和紙で装い、擦れた頁の天地を切りそろえ、ほつれかけていた糸を綴じなおす。
 母が子ども時代を過ごした台湾について十代後半に書き留めた手記を、三年前、母が急逝した直後に発見した。葬儀の記録をのこすため、母がつけていた記録簿を開くと、最後の頁にはさんであった。三十数頁を一息に読む。そこには真っ黒に日焼けした少女が躍動していた。解読できない箇所は叔母の助けを借りながら文書に起こし直した。
 入学後三か月で離れることを余儀なくされた高等女学校は女子高校となっている。
 前回の訪問の折、日本から送った手記はすでに中国語訳され、その後、原本の写しと日本文とを合わせ合本として出版された。帰国後ほどなく女子高校から母の姿もある学級写真が送られてくる。違う学級はもちろん、他の年代も現存するものは一切なく、何日も探して、この写真一枚だけ見つかったのだと知らされた。
 今回は創設百周年記念式典に参列した。朝早く学校に着く。校舎の玄関と窓枠が白く縁どりされていて、雨に洗われ風に磨かれた赤煉瓦造りを際立たせ、正門からの景観が映える。式典会場の陸上競技場に入る。見学のつもりであったが、貴賓席に招き入れられて紹介までされた。戦闘機が爆音を残し飛び去って行く。東京大空襲に前後して台南もまた米軍の空爆を受けた。女子高校近くに戦前からある百貨店の屋上に、記録が石碑として残されていることを思い起こす。
 式典が始まった。鼓笛隊のあと小銃を携えた儀仗隊が行く。白いシャツに赤紫のベスト、白のスカートとブーツ、帽子の房と肩章がオレンジ色に輝き、小銃を操る動きが華やかに同調する。ふりむくときの足元が愛らしい。各界で活躍する卒業生の表彰、記念碑の除幕式とつづく。室内に会場が移ると、学校の歴史紹介、記念品の授与式があり、校歌と記念歌が合唱と管弦楽で奏でられた。
 翌日、市内観光の予定集合時刻に学校へ着くとまだ誰もいない。ひんやりとする空気につつまれた学内を歩いた。校舎をつなぐ通路には、開校当時から現在にいたる制服の変遷を見ることができる。石畳がつづく学生街を散策すると、正門へ向かう道の壁に刻まれた女の子の影が手を振っていた。
 校友会理事長晩餐会には、日本から訪れた九十二歳をはじめとする卒業生数名と、縁のある家族が招かれた。手記の原本を鞄から出し手に取る。手書きの文字を見返し手ざわりを確かめ、理事長に手渡す。歴史資料館に保存されることになった。
 帰国して記念品を供えた。百年誌の包みをとき、頁を繰ると、女学生の満面の笑顔があった。

 

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