ときとそらのなかに

 そのピアニッシモは、沈黙に灯された小さな雫の如く、静かにその波紋を広げ、心の扉を開放してくれた。

 盲目の音楽家とは何者か。原初生命体であった何者かは、藍鉄色の深海に育まれた響きを全身で受けとめていたのではないか。母の海に抱かれた何者かは、生まれ出ずる未だ見ぬ世界を全身で受けとめていたのではないのか。

 暗闇の中に立つ光の使者は、その指先に音ずれた懐かしい奇跡に、愛しみと歓びの不二の色彩を謳い、明日の空へ架ける。

 

(ピアニスト 辻井伸行

 

<『明恵 夢を生きる』河合隼男>