十一歳

 小学校のはじめの四年間、何をしていたのだろう。病欠が半分ちかくあったかもしれない。授業では下を向いておとなしくしているばかり。授業の合間に外で遊ぶこともまったくなかった。ひとり教室でぼんやりしていたのだろうか。
 十一歳になった。身長が伸びたせいだけではない、身体の奥から止め処ない力が湧き起ってきて、このままではいけないという声が聞こえ、促され、授業中に思い切って手を挙げ立ち上がった。身体に芯がとおり、地に足がついていた。若緑の萌える梢につつまれた校庭に飛び出してみた。風を切り、砂を蹴って疾走する。誰もついてこられない。冬になっても半ズボン姿で、雪が降ろうが氷が張ろうが、走り廻っていた。
 五年生では放課後、校内を見回る役割があり、六年生の女子と組むことになった。不意にあらわれた真珠のような笑顔は、スカートがゆれる身のこなしととけあい、戸惑う心は知らぬ空へ運ばれていってしまった。時はとまり、甘く切なく遠い憧れにみたされた。
 顔立ちや姿かたちやしぐさがそっくりな、北国からの転校生が入ってきた。桃色のカーディガンがよく似合う。夏に海辺での特別授業があった。食事時間、好き嫌いが多く普段の給食も残しがちであったが、その眼の前ではやせ我慢するしかない。思い切って今まで手をつけたこともなかった食材を口にすると、美味しい。世界が広がった気がした。
 入浴の時間、ぞろぞろと行く男子生徒の列の最後について風呂場に向かうと、遠くに一糸まとわぬ姿が光り、暖簾が翻り、消えた。顔は見えなかったが、誰であるかは分からないはずはなかった。体育館での全校行事のときだろうか、壁際に片づけられた机に腰かけ見下ろすと、手招きして口元を見ろと合図をしている。上唇と下唇が渇いて、くっついてしまったのを嬉しそうに指差す。その無邪気な振る舞いがまぶしく、微笑みを返せたのかおぼえていない。

づんだ餅

 づんだ餅は祖母の大好物だ。枝豆をやわらかくなるまで塩ゆでして鞘から出し薄皮もとり、つぶしながら少しずつ摺っていくと豆の青い香りが立ち、塩を加えると翡翠色があざやかに映え、砂糖を入れるとなめらかさが増してさらに艶やかになる。熱々の餅と和えると塩味が活きて甘味が際立つ。たいそう喜んでたくさん食べてくれた。素朴でやわらかな風味のづんだ餅は、着物姿のおおらかな笑顔を想い起こさせてくれる。

 東北の生まれで、電話では会話の調子になぜかお国訛りがあらわれてくるのが子ども心に面白かった。気が強く家に来る業者とよく勝手口でよく喧嘩していた。料理が得意で正月にはブリやハマチを手際よく三枚に下ろして刺身にし、水餃子は皮から百も二百も作り、食卓に賑わいをはこんでくれたものだ。裁縫も上手で仕立ててくれた浴衣の肌ざわりがときによみがえる。人懐っこく、いつも近所のお宅にあがって話しこんでなかなか帰ってこなかったことや、駅などで知らない人に誰かまわず気兼ねなくよく話しかけ、ちょっとはらはらさせられたりしたことなど懐かしい。心ひかれたひとのどこかに、そんな祖母の無邪気で屈託のない姿を見ていたような気がする。

 戦前は満州と朝鮮とに暮らしていた。四人の息子をもうけたが、ひとりは病気から耳が聞こえなくなり、子育ては心労をともなうものであったと思われるが、聾者の社会的な支援活動にもかかわり、気丈さを失うことはなかった。現地から引き上げる時期にはかなり怖い体験をしたようで、それから何十年も経っているにもかかわらず、夜になると部屋の障子の前に、誰かが襲ってきても備えられるようにと家具を移動してバリケードを作り、母によく叱られていた。

 小学校低学年のころは同じ部屋に寝ていた。熱を出して臥せっているとき布団にはいってきて、風邪がうつってお前の熱がさがりますようにと、呟きながら額に手を当ててくれたことは忘れられない。風呂は祖母と弟と三人一緒だった。湯船の中で童謡やいろいろな唄を歌っていると、目を細めて褒めてくれるので嬉しくなって調子に乗り、いつまでも歌っていて長風呂になってしまったものだ。

 仕事を始めてから、あるとき帰宅するのが遅くなりそっと家に入ったら、寝床から名前を呼ばれ何か言っている。聞こえなかったので顔を近づけたとたん、酒臭いと、飲み過ぎてきたことがバレてしまった。小さな声で話しかけたのは自分に近づけさせるための策だったのだ。まんまと証拠を押さえられてしまった。

 晩年は記憶がぼやけることが増えた。茶の間で目の前に坐っているとき、眼鏡をずりさげて、あんた誰、と険しい顔でいきなり言われ、分からなくなってしまったのかと、悲しかった。とっても可愛い孫がいてね、と懐かしそうに頬をゆるめ話す姿に、涙を禁じえなかった。

 久しぶりに帰京したとき些細なことでも父が祖母につらくあたっていた。そのふるまいに腹を立てて席を立ち、滞在半ばで仕事場のある地へ帰ってしまったことがある。苦笑いし見送る父に憤慨していたが、父にもまた老いの影がしのんでいたのだろう。その父が急逝したとき、何が起こったのか把握できず、死んじゃったのがわからないのと詰る母の悲痛な叫びにも、ただあいまいな戸惑いの微笑みを返していたが、しばらくしてから息子が先に逝ってしまったことをようやく理解し、涙を流していた姿がやるせない。

 亡くなる前、人生初めての入院をした。出来る限り時間をつくり泊まり込みもしながら三カ月近く看病した。口から食事が出来なくなり鼻からの経管栄養になったが。苦しかったのか自分で抜きとってしまい、それをくりかえすので手首をベッドの柵に縛られてしまった。付き添っているときはそれをほどき、管を抜きそうなときは制止していたが、目を離したすきに管を外してしまっていた。息が楽になり、スッキリして心地よさそうで、その穏やかでホッとした表情を妨げる言葉などかけられるはずはなかった。医師の処置に不手際があり、そのショックで話すことが出来なくなり声をかけても反応が乏しく弱っていった。

 スケッチブックに鉛筆を渡すと、自分の名前や意味不明なことを書きなぐる。今でもときおりそれをながめてみる。斜めに流されるような筆跡で、ハヤクシテクダサイ、と書かれていたのは、ハヤクダシテクダサイ、であったかもしれない。こころに痛い。あの日、病室から去ろうとすると何日かぶりに眼をしっかりとあけ、真直ぐにこちらを見つめ、取った手を力強く握り返してくれた。次の日の明け方、九十三歳の天寿を全うした。

赤い風舟

みえぬ墓石に跪く黒髪
闇をすすみ 砂にもがき
あすの扉にひかりなく
知らされぬ鍵のゆくえ 

あふれ定まらぬ怒りにたたずみ
丘から水平線をのぞめば
海なでる白い羽に
仮の宿りを思い知る

森に消えた面影を
月に刻み 追いもとめ
灼かれた足は宥められ
彼方からの調べに耳を澄ます

記憶の籠の片隅に咲く
きのうの宝は人知れぬもの
陽の出とともに友を呼び
空には赤い風の舟

カズオ・イシグロ「わたしを離さないで」に寄せて

ひかりの聖堂

飛翔のときか来迎か
いのちの糸はいのち享け
わが身のさだめ知らされる

かがやくそらにいざなわれ
ゆらめく波にあそばれて
鼓動たかまりまたしずむ

かえらぬ人の影を縫い
戻らぬときをしたためて
白き調べを弾きくらべ

色をいただく音の波
歌を染めるは極楽鳥
かさね桜に濃紫

いにしえびとと舞い踊り
まもりびとにはこえひそめ
いま立つものをささえつつ

夢織りなすは薄衣
息をわすれる深緑
ひかりの恵みかぎりなく

 

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志村ふくみ「母衣への回帰」に寄せて

細く微かなもの

 背中から腰と脚にかけ激痛が走り、起き上がるにも坐るにも歩くのにも、痛みに耐えながらようやくという状態が続き、一時はこのまま動けなくなるのではないかという怖れすらあった。安静といわれ、とにかくできるだけ外出しないようにしているうち、重だるくヒリヒリする感触は残るものの、階段を踏みしめる足を下から支えてくれるような確かな兆しがあり、軽く身体を動かすと蠢くような力の芽生えが広がり心地よさを覚えた。久しぶりに少し歩いてみたくなり、近くの遊歩道を散策する。道のところどころに鬱蒼と葉を茂らせている、幹の直径が一メートルはありそうな巨きな樹は、天に向かい歩いているかのようだ。細く微かで確かな歩みは、そのはたらきを誇らない。

風の音 龍の耳

 インターネット上のやりとり、キーポードから打ち込まれた文字だけではなかなか感情は伝わらず誤解しがちだが、それでもやはり、「感じられる」と「聞こえる」の中間の働きのようなものによって、表された言葉から相手の心の動きを、苛立ち、親愛、悲鳴、歓び、苦しみなどを、推し測れるときがある。おそらくネットの向こう相手もそうなのであろう。線の繋がらぬ電話の受話器を耳にするとき、その人は大切な人の声を確かに聞いている、そしてその声が途切れ静まる時の間に、さらに小さき声があることに氣づく。おそらく受話器の向こうの相手もそうなのであろう。ピアノの鋼の糸を叩く羊の毛のハンマーは響きの森を現出させる。働きかけるものと働くもの、実はどちらがどちらなのかはわからない。

 聴覚を喪っていることをなぜ「龍」と「耳」で表すのだろう。あまりに耳が大きく、すべてが聞こえることを聾といい、すべてを聞き入れる大いなるものは、ただ静けさと共にあるに違いない。頬に指先を添え、片足を膝に憩い微笑む弥勒菩薩が、初めて出る地を共にする、隣國の佇まいに向かい合う。重ならぬ時もあれど、その姿は近しくあった。人のみならずあらゆる生類の、生者の声、死者の声、内なる声も逃さずに耳を傾けつづける。その営みを、海を隔て見護る者がいたのだ、そして見護られていたのだ。古の都にて、ひとりそこに立ち見つめ聞くことを、見つめられ聞かれることを、念う。微笑むのは我か彼か、誰が我で誰が彼か、風の中に応えがある、凪の中に応えがある。

天の水 分かつ

風笛に導かれ漆黒の闇を進む光の珠、銀の毒水を代わり受け、麗明の海に逝きし者の歩みか。天透ける女人の鎮魂歌、言葉奪われし影達の眼差し篤く包みて、古の黒き輝石の邑に染み入り、語る言葉その姿ひそめ語らざるものとの旅に誘う。水を分かつ地に育まれし童女は、息を閉ざす殻に覆われし美しき星を愁い惑い哭してひとり坐し、冷たき風に揺れる葦となることを預かる。膝に軽き子を守る煩悩深き翁、かそけき肌伝う温もりに己の魂魄護られ、陽射し享ける畳には恵みの音なわざることなし。地に花弁を希む指は祈りの刃となり、引き裂くは天空の動かざる時。深海の底に囚われ臥す人が見るは絶対零度の宙か蓮花の園か。凪に磯遊びし、もてなし集うものの差し延べる手を愛ずる。小さく弱きものなれど、天の鼓動遍く始原の海よりの使者なり。その遥かなる託けに黙し、織り成す波風に揺り出され、曇ることなき瞳携え旅立ちし姿想い、こころ静まりいのち咲く時来たれとただ俟つのみ。